ALPINE CLIMBER   青木達哉

もっとも険しいとされる山、K2。
当時21歳、世界最年少で登頂に成功。
更に優秀な登山家に贈られる国際的ピオレドール賞を受賞など、山に向き合い、
山に愛された男「青木達哉」

世界的な活躍をしながらも、おごることなく実直に山へ向き合い続けている。
そんな彼はなぜ山に魅かれるのか?
彼にはなにが見えているのか?
今回、貴重にも彼と共に長野県の赤岳に登った。
そこで我々は登山家であり、人間「青木達哉」の扉を少しだけ開けさせてもらった。

■登山との出会い■

登山はいつ頃から始められたのですか?

〉青木氏(以下、青木)
きっかけは大学生の時に、山岳部に入部したことでした。
以前から興味はあったし、何より自然が好きでした。
そこから始めて、最初はきつかったのですが、もっと登りたいという気持ちが強くなり、
気付けば山に夢中という感じでした。

青木さんの経歴に、K2最年少登頂という驚くべき称号があります。
山には数多くの危険があり、K2のような険しい山ですとより困難が付いて回ると思いますが、
対照的に喜びの瞬間、常人では気付かないアドレナリンが出る意外なポイントなどを教えてください。

〉青木
僕自身は冬壁が好きなんです。
冬壁を登る際にはアックスを打ち込み、それが”効いている”、”効いていない”という言葉で表現されます。
研ぎ澄ませた己の精神を、アックスの先端に注ぎ、壁へと打ち込みます。
そのアックスが効いた瞬間に、身体からこみ上げて来るものを感じます。

経験がないと、その感覚は理解出来ないかもしれない。
過酷な環境下で得る喜び。
狂人の領域にも思えるその喜びは、青木氏自身が数々の山に向き合って得た経験の一つ。
彼の精神構造は?
入口にして、掘っていくことへの楽しみをこちらも感じずにはいられなくなった。

 

■時間の有限と研ぎ澄まされていく精神■

数多くのメディアで、今までの山と向き合ってきた過程を話されたことは多いと思う。
青木氏は現在、山とどう向き合っているのか?

〉青木
昨年、子供が生まれて生活スタイルが変わりました。
今までは自分自身が山であり、人生とどう向き合うかでした。
それが子供が生まれて、人生の中心が大きく変わりました。

子育てが中心となり、家族と向き合う時間が増えたと思います。
山へ向き合うことが無くなったわけではないですが、山へ対する変化はありましたか?

〉青木
時間が限られたことにより、一回一回の登山への集中力と、自分へ課す課題が明確になりました。
今までは今回ダメなら次に…でしたが、今はそうはいかない。
頭をフルで使い、自分の限界とも向き合い、課題を確実にクリアしていくことを目標にしました。
そうすることで、今まで自分が気付かなかった甘えの部分が取り払われ、精神的にも大人になったなと思えるようになりました。

子供が親を成長させるという素晴らしいお話ですね。
気になるのは私生活というか、登山にあたってのトレーニングの時間が気になりました。
普段はどうされているんですか?

〉青木
普段は茨城県のつくば市でクライミングジム「スポーレ」で店長を務めています。
職場で仕事をしながらもトレーニング出来る機会は多いので、空き時間を利用してトレーニングしています。
子供が出来たので、山をやめるという人も多いんです。
時間も限られるし、危険なことも多いので仕方のない部分も多いと思います。
ただ僕は時間が限られたのですが、山に対しての楽しさ、充実さというのは変わることはなかったんです。
山は好きですし、生涯やめることはないんだろうなと思います。

向上心。
青木氏から感じたのはその言葉だった。
言い訳をするわけではなく、惰性に変わるわけでもなく、ただただ己の肉体と精神と向き合う。
そんな彼の生き方には敬意しかない。

 

■命を守り、未来へと繋ぐ戦闘服■

青木氏は現在、MAMMUTのサポートを受け活動を続ける。
そんなMAMMUTとの出会い、彼の目にはどう映っているのか触れてみた。

〉青木
実は僕は元々MAMMUTのスタッフだった経歴があります。
大学を卒業後に、MAMMUTの日本本社に入社しました。
ただ入社して間もなく、もっと山に登っていたいと思い、退職してしまいました。

山を愛する青木達哉が止められなくなったのですね。
しかし、そこからも関係は続いたんですか?

〉青木
退職後もMAMMUTとの縁は切れず、当時の上司だった方に新作などを色々と教えてもらっていました。
その上司は今は退職してしまったのですが、そこからも現在在職されている方々のお気遣いもあり、ご縁が継続しています。

青木さんの真摯な山への気持ちや、お人柄も大きく関係していそうですね。
MAMMUT=登山ですが、青木さんという登山家の中でも高いゾーンに位置される方から見たMAMMUTはどう映っているのでしょうか?

〉青木
大学生の時、MAMMUTは憧れのブランドでした。
これは僕に限らずですが、多くの登山家や登山愛好家の方が口を揃えて言うと思います。
来年で160年を迎えるMAMMUTは、やはり山への経験値や膨大なデータを持っています。
その視点から生まれるウェアは、ハイクオリティーかつ、理にかなっていることが多いんです。
そして何より、僕らの想像の上をいくスペックやディティールが出て来ることが多いので、楽しみで仕方ないんです。

そんな歴史は、作りたくて作れるものではないですもんね。
今日着られているものには驚きや発見はありますか?

〉青木
今日着ているダウンTシャツもそうですね。
登山の際に着るダウンは長袖かベストかが普通です。
当時このダウンTシャツが出て来た時に、どういう意味があるんだと思ったのを覚えています。
冬の山は氷点下20度にも30度にもなる山に挑戦していきます。その際には、筋肉の硬直が起きます。
登山の最中は身体を動かしているので気付かないのですが、止まって身体を休めた時に肩回りが冷えてしまうんです。
長袖だとシェルの下に着て腕が動かしづらくなり、ベストだと腕は動かしやすいですが、肩や腕が冷えてしまいます。
この半袖というのは、腕の自由度をそのままに、肩の硬直を回避してくれるんです。
これが本格的なスペックの登山服ではありそうでなく、使ってみてなるほどということになるんです。
山は楽しいですが、時に命を奪います。
一般の人から見たらなるほどくらいのことが、僕らとしては命を守ってもらったになります。
死と隣り合わせだからこそ、そういった選択の重要度が増すんですね。

命、死という言葉を聞いて、現実に引き戻された気がした。
危険には変わりないが、何を選ぶかで安全の保障度が上がっていく。
ただ危険は理解しなければいけない。
楽しさと危険は表裏一体。
命を守る防護服であり、彼の挑戦心を掻き立てる戦闘服としてのMAMMUTという選択肢。
その先には青木氏が見ている景色が待っているのかもしれない。

 

■人間・青木達哉■

山への挑戦を続ける青木氏。
登山家としてのフォーカスは多いであろうが、日常や街で生きる、
人間「青木達哉」に触れてみたくなった。

〉青木
僕自身は音楽が好きで、中学生の時にTHE BEATLESにハマったのがキッカケでした。
洋楽が好きで、クラブに入れるようになってからはクラブに出入りするようになりました。
意外とアングラな音楽が好きで、ハウスだったりを好んで聴いていました。
お酒も好きなので、そこでお酒を飲みながら音楽を楽しみ、自分なりの非日常を味わっていました。

今までの登山家の青木達哉から一転、一気に親近感が湧いてきました。
しかもアングラカルチャーを好むとあれば、急激に共通言語が増えそうなものです。
ハウス以外は聴かれるんですか?

〉青木
奥さんが昔はボサノバのアーティストだったんです。
彼女の友人のDJが今日は回すとあれば、じゃあ顔を出してみようかと行ったりもしていました。
代わりというわけではないのですが、逆に彼女が山へ付き合ってくれることもありました。
今日は東京やつくばのクラブへから、来週は山梨へキャンプ込みで山へ登ろうかなど、
お互いがお互いのカルチャーに触れ合い、理解を深めていった経緯はあります。
それで今まで触れたことのない音楽に触れることで、自分自身の知識や経験が広がっていったので、
奥さんのおかげで自分の視野が狭くならずにすんだなと思うことがあります。

正直、まさかこんな話が出てくるとは思いませんでした。
触れてみたかった、人間臭さの部分が知れて嬉しい限りです。
僕らが青木さんと同じ目線や、頂点の景色を見ることは難しいですが、今は興味が増してきました。
最後に聞きます。
途中で登山家人生をやめる方も多いと聞きました。
青木さんは身体が動かなくなるその日まで、山と向き合っていきそうですか?

〉青木
いつか身体の自由がきかなくなる時、それを想像はします。
ただ身体が動く限り、山をやめる理由がないんですし、生涯向き合いたいものなんです。
あらゆるスポーツに興味があります。
ただ人に誘われてやる以外、その時間があるなら山へ行きたいんです。
それが僕の正直な生き方なのかなと思います。
本当に好きなものを見つけられた人生なので。

“人間・青木達哉”は世間が想像するよりも更に深く生きていた。

山を通して青木氏は数多くのことを学んでいる。
それに呼応するように山も彼を受け入れている。

ただそれは妄想ではなく、希望的観測でもなく、
彼が山に向き合い、登頂、そして受賞などの実績が物語っている。

僕らが出会った人間・青木達哉は当初思っていた狂人的な登山家ではなかった。
山を愛し、自然を愛し、穏やかな人柄と純粋な心の持ち主だった。

僕らは日常の忙しさ、街の喧騒の中に何か大切なものを見失ってしまいがちだ。
そして、それに気付くこともなく、また当たり前の日常を踏み進めてしまう。

立ち止まってみよう。
彼が語ってくれた純粋な想いを自分の心に描いてみよう。

きっと僕らが忘れかけている、大切な童心を思い出すはず。
赤岳の美しい自然の中で彼が語った言葉。
それは山を愛する者だけでなく、全ての人々に聞かせたい言葉だった。

まだ雪が残る赤岳。
寒空の下、彼の言葉は風に吹かれ宙を舞うことなく、赤岳の大地と僕らの心に深く根を張った。

 

 

青木達哉
アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン市出身の日本人登山家・アルパインクライマー。
青年期を茨城県守谷市で過ごす。東海大学文学部卒業。
大学から登山を始め、2006年カラコルム山脈 K2( 8611m)南南東稜を世界最年少で登頂。
また、2012年にはキャシャール南ピラー初登攀、
2013年に第21回ピオレドール賞(仏)及び、アジアピオレドール賞を受賞した。
海外・国内問わず、魅力的な山々に挑戦し続けている。一児の父。
http://timmy-aoki.com

MAMMUT
1862年にスイスでロープメーカーとして設立された、高品質のプロダクトと類い稀なブランド体験を提供するアウトドアブランド。
159 年以上にわたりその代名詞とも言える安全性とイノベーションを追求し続け、世界でマーケットをリードするグローバルプレミアムブランドとして高い評価を獲得。
その洗練されたデザインと、極めて高い機能性が融合した製品ラインナップは、アパレル、フットウェア、バックパック、ロープ、クライミングハードウェア、アバランチセーフティと他に類を見ないほど幅広く構成されており、世界屈指の長い歴史と伝統をも誇るアウトドアブランドとして、世界約40の国・地域で展開。
https://www.mammut.jp

 

< Photography > Keita Suzuki

<INTERVIEW & TEXT>  Takahiro Kudose(TEENY RANCH)