NEWS

赤岳鉱泉・行者小屋の四代目当主 柳沢太貴

山小屋は、山を愛する者の憩いの場。 身体を休める者。 山小屋で広がるコミュニティーを楽しむ者。 様々な想いを抱えた人々を長年見守って来た。 そして今、一人の青年が新たな山小屋の在り方に奮起している。 長野県にそびえる八ヶ岳。 その八ヶ岳の赤岳鉱泉・行者小屋の四代目当主の柳沢太貴氏。 若くして歴史を背負った、33歳の経営者。 新たな時代の柔軟な視点を持ち、僕らに経営の先に彼が見ている大切な想いを教えてくれた。

■転身■

率直にとても若いので驚きました。
今、四代目ということは、ひいおじい様が創業者ですか?

〉柳沢氏(以下、柳沢)
そうです。
最初は今の赤岳鉱泉の場所より、もう少し低い場所にあり、そこで開業しました。
今の場所には1959年に移ってきて、今年で62年になります。

その長き歴史たるやですね…
元々、山小屋を継ぐという意思はあったんですか?

〉柳沢
それが実はなくて…
元々6~18歳まではレーシングカートに明け暮れていて、プロを目指していました。
ただ18歳の時に伸び悩みを感じ、そんな中で急に母が亡くなったんです。
色々と思うこともあり、レーシングカートの世界を諦めたんですが、まだモータースポーツの世界への想いが断ち切れず、高校を卒業後に整備士の専門学校に入学しました。
時を同じくして、父が長年の山での救助活動などの仕事をしていく中で、腰を悪くしてしまったんです。
そこで山小屋が大変だということになり、父から山小屋を継がないか?と提案されました。
長男の宿命…ということもあり、専門学校卒業を機に、気持ちを固めて山小屋での仕事を始めました。

長年、お父様の背中は見て来られていたと思うのですが、見るとやるでは大きな違いもあるかと思います。
特に今まで違うジャンルで突き詰めていたと思うので、葛藤もあったんじゃないでしょうか?

〉柳沢
正直、葛藤はありました。
最初の1~2年くらいの時には、辞めたいが強かったです。
ただ一度始めたことを簡単に辞めるという精神は僕にはなく、貫き通さないと!という気力で続けた部分があります。
そうすると、3年目くらいからようやく楽しめるようになりました。
今でもなんですが、僕は山が好きでこの仕事をしているわけではないんです。
山小屋で出会う人、サポートをしてくれるメーカーさん、そして何より共に山小屋で働くスタッフが好きで続けられているところは大きいと思います。
なんでも自分でやりたい性格なので、自分が率先的に動き、提案して動き。
今ではこの仕事、自分に向いてるなに変わりました。

“人に恵まれた”
環境が彼を助けた。
人は経験して、初めて向き不向きに気付く。
ただ根底にあるのは人の支え。
人は本意ではない言葉を意外と口に出来ない。
彼は若くして、大切な経験をしていた。

 

■赤岳鉱泉・行者小屋■

「赤岳鉱泉」「行者小屋」
異なるコンセプトを抱えた2つの山小屋。
その違いをうかがった。

〉柳沢
今日は赤岳鉱泉にいますが、更に登り進めていくと行者小屋という山小屋があります。
赤岳鉱泉は、メーカーさんとの協業や、山小屋では珍しいステーキが食べられるなど、様々な人々と新しい試みを行う場所という位置づけです。
宿泊が主で、時期によってはお風呂に入れたりと山小屋での不便さを感じないようになっていると思います。
対照的に、行者小屋は古き良き山小屋の伝統を大事にするというコンセプトです。
よりロケーションが良く、宿泊も出来るのですがテント泊の方が多かったり、通過していく方が多いので軽食や売店を充実させていたりします。
赤岳鉱泉は家族連れや団体の方で楽しむ、行者小屋は一人で登っているストイックな方に愛される傾向にある、というのは感じている部分です。
近いようで、山を知る方からすると遠い特性を持っていることで、様々なニーズに対応出来るようになっています。

 

初心者から上級者まで楽しめそうですね。
かく言う私もしっかりとした登山は初めてだったりします。
今日は赤岳鉱泉に泊まりますが、次回は行者小屋にも行ってみたい気持ちが出てきました。
赤岳鉱泉は冬に賑わう特異な山小屋と聞きました。
それは雪山を登りたい登山者が集まるということですか?

〉柳沢
雪山もですし、アイスクライミングを楽しみたい方が集まってきます。
赤岳鉱泉自体にアイスキャンディもありますし、近辺に自然の氷瀑が10本ほどあります。
それを目当てに日本全国はもちろんですが、コロナ渦前はアジアやヨーロッパの方々もたくさんお越しいただいていました。
雪はあるけど氷が無い、雪も氷も無い国の方々が、アイスクライミングをしたくてという方が多いです。
ハイシーズンともなると、週末は1日200人ほど泊まられるということもありました。

すごい人数ですね…
しかし、このコロナ渦です。
今はどうなんでしょうか?

〉柳沢
今はまず宿泊出来る人数も半分にし、その上で細心の注意を払って営業を続けています。
苦しいといえば苦しい状況なのですが、元々赤岳鉱泉は日本人のお客様が多かったんです。
外国人の方が減ったのは大きな痛手でしたが、以前から海外の方や団体ツアーには頼らずという理念があったので、元々の日本人の登山者の方に助けられている現状です。

 

 

インバウンドへの依存というのは、どの業界でも課題になっていたことだと思います。
地固めが出来ていた部分は、ここに来て強そうですね。

〉柳沢
そこでも人に恵まれた話に繋がるのですが、本当に僕がいないところでもスタッフがしっかりしてくれているので、その部分に助けられている部分が大きいです。
僕自身やみんなで色々意見を出して、スタッフと揉んで実現していくスタンスなので、そこに付いてきてくれるのは本当に感謝しています。
下は18歳から上は46歳まで。
様々な世代と価値観を持った人間が、場所が場所だけに24時間プライベートもない状態で、衣食住を共にするので、考えを聞けたり、気付けたりする機会は多いんです。
スタッフの意見を大事に、みんなで目標を掲げてやり遂げるというチームワークを、12年掛けて学ばせてもらっていました。
経営者なので引っ張っていく部分は重要でしたが、僕自身はみんなで一緒にやっていきたいという気持ちが強いですね。

全員が戦友。
熱い気持ち以上に、柳沢氏の優しい人間性を感じた。
損得勘定で動く人が多い現代で、上辺ではない”みんなで”を聞けたことは大きい。
彼が支持される理由に気付いた瞬間だった。

 

■手を取り合うということ■

赤岳鉱泉に入ると、MAMMUTのロゴをよく目にした。
パートナーシップを結び、宣伝以外の配慮の部分まで聞いた。
山を愛するブランドと、人を愛する山小屋。
手を取り合う両者の想いを、柳沢氏の口から聞いた。

〉柳沢
ここまでメーカーさんと取り組んでいる山小屋は珍しいと思います。
僕らが思う”みんなを楽しませたい”はメーカーさんも同じだと思っています。
お客様を楽しませるには、まず自分たちが楽しまないとなので、その気持ちを持ってメーカーさんに話すと、色々なアイデアが膨らんでくるんです。
そこでお互いの出来ることを話し合うと、自然と一緒に手を取り合ってることは多いかもしれません。
何より様々な挑戦をするにあたって、自分たちが出来ないこともたくさんあるので、本当に助けてもらうことが多いです。

 

柳沢さんとの会話には、本当に人への感謝の念を感じます。
レーシングカートに打ち込んでいた頃との自分と、今の自分との違いを感じたりしますか?

〉柳沢
カートをやっていた頃は、相当甘い人間だったんです。
勝負の世界ということもあり、いかに他人を出し抜くかでした。
メカニックなどもいるのでチームではあるのですが、自分の記録や勝負のことばかりに集中して、自分が自分がと周りが見えていなかったんです。
だから上手くいかなかったんだと思うようになったのは、山小屋で働くようになってからです。
もちろんビジネスなので、生活していく為に勝つことも大事ですが、人を大事にしなければ自分も大事に思ってもらえないなど、仕事を通して昔の自分の甘さに気づかされました。

人の大事さに気付かないままの人も多くいます。
恵まれた環境はもちろん、気付ける器があってのことだと思います。
柳沢さんは本当の意味で、自分の足で立っている経営者だなと感じました。
今こそ腕を試される時だと思いますが、コロナ渦での挑戦などはあったんですか?

〉柳沢
人を楽しませたいということを日々考えている性分です。
多くの人が今のタイミングで立ち止まったと思うのですが、僕は逆にぶっちぎれるチャンスだと思ったんです。
まず、山小屋では珍しいオンラインストアを始めました。
大きかったのは、アイスクライミングのイベントをオンラインで開催したことです。
例年、赤岳鉱泉にあるアイスキャンディを使って、アイスクライミングのイベントを行うのですが、今年は次節柄、実行に移せませんでした。
頭を切り替え、ヴァーチャルでイベントを行おうと思ったのですが、その費用だけで莫大な金額が掛かってしまうことが分かり、途方にくれていたんです。
そこでも皆さんの知恵を借りたのですが、クラウドファンディングでその資金を募ったんです。
MAMMUTさんにもかなり力を貸してもらい、コンテンツを考えてもらったりと、自分が思い描いていた以上のイベントに仕上がったんです。
楽しみにしたいた方も喜ばせられて、本当に感無量でした。

 

 

山小屋やメーカーなどの概念を超えて、人と人が手を取り合ってこそ実現出来たことですね。
柳沢さんの今後の更なる展開として考えていることはありますか?

〉柳沢
このイベントを通して、データ化するようにしたんです。
色々な声を拾っていく中で、まず自分達が有名じゃないことに気付いたんです。
「八ヶ岳」「アイスキャンディ」「赤岳鉱泉」
もちろん知らない人はいて当たり前ですが、自分が思っている以上に知られていないことに気付き、見直しを図ろうと思ったんです。

まだ明確なヴィジョンは見えていませんが、八ヶ岳と赤岳鉱泉・行者小屋を知っていただく為の面白いことをやっていきたいと考えています。

大きな目標と、柳沢氏が思う使命感をひしひしと感じた。
昔は当たり前だったご近所付き合いのように、忘れられてしまいがちなことを思い出す。
赤岳鉱泉は更に革新的なことを起こしそうだ。

 

■護る責任■

山小屋=憩い。
その一般的な概念を超えて、赤岳鉱泉が実現したこと。
“護る”という力。

〉柳沢
山はやはり危険が付き物なんです。
アイスキャンディを作った時もそうでしたが、これも様々な人の意見から実現したことだったんです。
当時、自然の氷瀑でアイスクライミングをしに来ている人達の間で、事故や揉め事が絶えなかったんです。
それを見かねた人たちが、安全にアイスクライミングをする為に、練習を出来る場所を作れないか?という相談があったんです。
そこで僕の父が、だったら作ってしまおうということで作られたのが、赤岳鉱泉のアイスキャンディだったんです。
全ては安全考慮が根底にあるんです。

その声を聞いて、あんな巨大なものを…
しかし、それが楽しむだけではなく、登山者に安全をもたらす為だったとは。
赤岳鉱泉は様々な使命を自分たちに課しますね。

〉柳沢
安全登山というのは、本当に大事なことなんです。
MAMMUTさんにもかなり助けてもらっているのですが、山道整備に支援をしてもらっています。
山道が荒れていると、それによって新たな怪我人を生み出してしまいます。
登山者が安全に山を登ることは絶対条件なので。僕らはいつまでも登山者はもちろん、八ヶ岳へ来る全ての方の味方でありたいと思っています。

 

 

世襲制が基本の山小屋。
別の目標を持った青年が、様々な経験を経て、今は登山者のキーパーソンになっている。

山が好きなのではなく、人が好き。
この正直な発言に、後々の彼の言葉を信じざるを得なくなった。

古き良き時代を口にし続ける者。
変わらないことも大切だが、彼は挑戦と伝統の狭間で日々戦い続ける。

父の大きさ、伝統の重さ。
彼ののしかかるものは確実に重い。

ただ何故だろう?
彼に期待をしてしまう。
恐らく彼が守ろうとしているものの一番が人だからだ。

きっと彼にはこれからも多くの人が手を差し伸べるだろう。
彼はそれを必ず大事にし続ける。

八ヶ岳の雪が溶け、春の息吹と夏の匂いを感じる頃、彼はまた違うアイデアを考えているはず。
それが多くの人々を喜ばせ、そして多くの人々の命を助ける。

命は繋がれていく。

彼が残すもの。
それを見届けることも、彼に関わった人間の使命なのかもしれない。

 

 

赤岳鉱泉・行者小屋
長野県の八ヶ岳の登山者を見守る山小屋。
1959年の伊勢湾台風を機に、現在の場所に移動。
新しい時代にフィットしていく赤岳鉱泉と、伝統を守る行者小屋の2か所に拠点を置く。
メーカーとの積極的な協業もあり、革新的なことに挑戦をし続ける稀有な山小屋。
https://userweb.alles.or.jp/akadake/

MAMMUT
1862年にスイスでロープメーカーとして設立された、高品質のプロダクトと類い稀なブランド体験を提供するアウトドアブランド。
159 年以上にわたりその代名詞とも言える安全性とイノベーションを追求し続け、世界でマーケットをリードするグローバルプレミアムブランドとして高い評価を獲得。
その洗練されたデザインと、極めて高い機能性が融合した製品ラインナップは、アパレル、フットウェア、バックパック、ロープ、クライミングハードウェア、アバランチセーフティと他に類を見ないほど幅広く構成されており、世界屈指の長い歴史と伝統をも誇るアウトドアブランドとして、世界約40の国・地域で展開。
https://www.mammut.jp

< Photography > TADASHI MOCHIZUKI

<INTERVIEW & TEXT> Takahiro Kudose(TEENY RANCH)