Taishi Nobukuni 氏。幼少期に感じた洋服への違和感に似た好奇心。ロンドン時代の印象的なエピソード。そして今尚、追求し続けているサーフィンとチベット仏教の世界。そしてテーラーリングに対する絶対的な価値観。今回のインタビューでは、ご自身の世界観を形成する多岐に渡る真髄について伺った。
このインタビュー取材が決まり、雑誌や映像を通して今一度、信國さんの過去の創作を振り返ると、どんな人柄なのだろうかと日を追うごとに気になり、当日は待ち合わせ場所に一時間も早く到着してしまった。実際にお会いしてみると、精悍な佇まいや表情、フラットな考え方、俯瞰した視座で、優しく語りかけるようにお話をされていて、こちらは終始頷くばかり。
珍しい苗字ですが、どのような家系なのでしょうか?
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初代は信國源左衛門という人です。1360年頃に朝廷にいたそうですが、陰謀によって追放されてしまいました。その悔しさの余りに自身の生を形として残したいと思い、著名な刀鍛冶である了戒に弟子入りし、10年間の修行を経て初めて自身の手で打った刀に「信國」と刻んだのがルーツです。海外のコレクターの中では有名だそうで「Nobukuni School」、信國派と称されているそうです。
幼い頃から洋服は近い環境で育ったのでしょうか?
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中学1年生の時に丁度DCブームだったので、(出身である)福岡県のデパートにあるデザイナーズブランドの全店舗に回っていました。ある時、それまではジーンズショップで安いジーンズしか買ったことがなかったので、奮発して良いジーンズを買おうと思った時に「リーバイス」の501か、デザイナーズブランドのジーンズで悩んだのです。目当てのブランドがあったので、福岡市ではなく久留米市まで行って試着した時に、ふとリーバイスの501とこのブランドのジーンズの違いはなんだろう、と気になって、それを店員さんに尋ねると、「そもそもこの店は君のような子が来るような場所じゃないよ」と追い返されました。それ以来そのブランドはトラウマで着ていません(笑)。
何故、疑問に思ったのでしょうか?
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その時は無意識でした。その後、天神にある小さなセレクトショップで、「ポール スミス」や「キャサリン ハムネット」のような英国ブランドの服を見た時、今まで見てきたDCブランドとは何かが違うと直感で感じました。その時になけなしのお小遣いで買ったのが、何故か「ナイジェルケーボン」でした。恐らく、ダウン素材が入ったカーディガンで、宇宙服のようなムードに惹かれたのだと思います。その服の仕様について調べてみると、アウトドアウエアのアーカイブを復刻して作った、要は機能から生まれた服でした。それはつまり、リーバイスという機能から生まれた用の美としてのデザインと、ブランドのデザイナー先生がデザインしたデザインのためのデザインによる作品との本質的な違いでした。
若くして海外に移住されていますが、特にヨーロッパでの生活は長かったそうですね。
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合計3年以上はいました。最初はセントマーチンに行きたかったのですが、不合格だったのでパリに行って、知人の紹介で「ジョン ガリアーノ」のアトリエで働くになりました。丁度ガリアーノが一度パリに進出して、予算的に厳しくなって一度スポンサーが破産して、パリで再起を図ろうとしていた時期です。日本の雑誌『DUNE』にジョンのインタビュー記事が載っていて、彼の考え方に感銘を受けて、アトリエに行きたいなと思っていた時でした。運が良かったと思います。その当時はマルタン・マルジェラが生み出した脱構築的でアンドロジナスなムードの最盛期。その中で、構築的で女性らしい服を作っていたことに魅力を感じていました。ジョンは本当に優しくて誰に対しても平等な人柄です。ジョンにこれからどうしたいの?と聞かれたので、セントマーチンに行きたい、と答えると、推薦状を書いてくれました。アトリエでは、肩パットを作ったり、書類を届けるといった雑用をこなしていました。パリでそうした生活を8ヶ月ほど送って、その後ロンドンに戻り、セントマーチンに合格しました。学科はウィメンズウエアの修士課程です。
当時のセントマーチンのウィメンズウエアの修士課程の講師といえば、ルイーズ・ウィルソンの名前が真っ先に上がると思います。
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物凄く怖い人でした(笑)。僕が瞑想を始めたきっかけは、ルイーズに作品を見てもらうのが怖くて堪らなかったからです。どのように自分の心を落ち着かせてプレゼンテーションすれば良いかわからなくなるくらい怖かった。態度の怖さ、批評の怖さは当然ありますが、何より現実的な怖さもありました。入学の初日に配られた資料に「ファッションとは主観的であるため、ディレクターにいつ不適合だと言われ、学校から追放されても訴える権利を放棄してください」というサインをさせられる。だからルイーズに出て行きなさい、と言われたらもう次の日には退学、という日々の怖さといいますか。
その中でも印象に残っている講評はありますか?
実は彼女の部屋の壁は、「コムデギャルソン」と「ヨウジヤマモト」の印刷物で埋め尽くされているほど、川久保玲さんや山本耀司さんの作品を好んでいたのです。しかし、似たような創作をすると当然怒られます。その人なりの“らしさ”をどのようにリサーチして表現しているか。あとは単純に恰好良いか、恰好悪いか。ある時、僕は色々考え過ぎて昔のクリムトの絵にあるような、膨よかな女性をモチーフにした絵を持って行った際に、いきなりそれを投げつけ返されて。ダッチワイフみたいで気持ち悪い、あなたはこんな女性と出かけたいの?と激昂されました。最初の1年は不適合者予備軍だったので、進級の時に一回落とされました。ただ、リベンジ期間があったのです。1ヶ月間でどんな形でも良いからルイーズを説得出来たら進級出来るシステムです。その時に(リー・)マックイーンも一度落ちていることを知りました。僕はそれまで絵でプレゼンテーションしていたのを、様々な形にして立体的なものを作って持って行った時に彼女にすごく褒められました。
創作に対する神経質な側面は必要なことだと思いますか?
どうですかね。ただ、ルイーズの話と似たような逸話があります。僕の友人が「ジョゼ レヴィ」で働いていたので、アトリエに遊びに行った時のことです。その日、ディレクターがスタッフに凄く怒っていました。そのディレクターは、エディ・スリマンだったのです。彼は、パンツの丈について口酸っぱく注文をつけていました。僕がファッションの世界である種の「煩さ」を持った人を挙げるとするならば、ルイーズ・ウィルソンとエディ・スリマンの名前を挙げます。同質の神経質ですかね。
学生の頃からテーラーリングを軸にした創作を手掛けていたのでしょうか?
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学生の頃からジャケットとパンツを作ることが好きでした。当時、僕はヴィヴィアン・ウエストウッドの息子のジョセフとルームシェアをしていたのですが、独学で服を縫っている僕に対して周囲の人たちは、映画『羊たちの沈黙』に出てくる犯人のようだと揶揄していました(笑)。日々、誰にも会わずに服を縫っていたので。それを見兼ねたジョセフが「ハンツマン」を紹介してくれたのにも関わらず、僕は行きませんでした。今でも仮にセントマーチンに行かずに「ハンツマン」に行っていたらどう人生を歩んでいたのだろう、と思うことがあります。
テーラーリングの魅力に取り憑かれたのは何故でしょうか?
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例えば、山本耀司さんが彫刻作品を作るかのように、フィッティングをしながら鋏で布を切っている映像をよく目にすると思います。デザイナーという職に就く前は、そういうことができるようになるのかな、と漠然と思っていました。大所帯のパタンナーを抱えて各々が立体的にデザインしたものを監修するというシステムだからこそ、手と直結して仕事できるわけですが、僕の世代のデザイナーのビジネス規模では極少数のパタンナーに絵を渡して上がりを待つのがやっとで不可能です。それと同時に、絵を描いてそれを具現化することに対してつまらないな、と感じるようになってしまって。規模は小さくてもその場で襟の形を決めて鋏を入れるというテーラーの仕事は面白いな、と感じていました。子供がプラモデルを作るような感覚です。
ここからは少し話が逸れますが、長年のご趣味としてサーフィンのお話が度々上がるかと思います。始めた経緯は?
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僕の奥さんの学生時代からの友人が日本のサーフィン協会の会長で、その方に連れて行って頂いたことがきっかけです。場所は鴨川でした。サーフィン自体も魅力的だったのですが、偶然ジェリー・ロペスというレジェンドサーファーを紹介してもらって。彼に出会えたことが僕に大きな影響を与えたかもしれません。今までお会いしたファッション業界の人たちはどちらかというと自我が強い方が多いと思うのですが、彼はその真逆。ジェリーさんはヨガを嗜んでいたこともあって、所謂サーフィンというマリンスポーツの側面だけではなく、サーフィンや生活することへの考え方だとか、観念に魅力を感じました。彼の影響でヨガを始めたほどです。あとは、もうお一人、僕に大きく影響を与えた人物がいます。当時、『波乗りと精神』というブログを書いていた石井秀明さんです。石井さんは普段の生活からサーフィン中に至るまで常に女装していて、少し変わった方なのですが、『サーフィンクラシック』という日本初のサーフィン雑誌を作った日本サーフィン界のパイオニアです。その雑誌はすぐに大衆化してしまい、嫌気がさしたのか、雲隠れしてしまいました。その後、『波羅門』という雑誌を作ったのですが、彼の執念が詰まっている凄まじい内容でした。日本初のサーフィンの映像を作ったのも彼です。全ての領域においてパイオニアなのですが、今は八丈島で生活しているみたいです。
サーフィンやそれを通して知り合うことになった方々と出会う前と後では何かご自身の考え方は変わりましたか?
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何もかもが変わりました。最も大きな変化は幸せの基準です。モノを持つとか、ステータスとは相見えない、純粋な幸福感に目覚めました。ある意味では健康的ですし、ある意味では世捨て人と言えますが。
チベット仏教への造詣も深いとお聞きしました。そもそもの出会いは?
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先ほどお話したように、最初はルイーズに会うのが怖かった故の、瞑想から始まりました。本格的に掘り下げていくようになったのは、ファッションの仕事が落ち着いた時期です。サーフィンやヨガに夢中になっていると、不思議な感覚になることがあって。この感覚は一体何だろう、という疑問を明確にしていくと、仏教に行き着いたのです。この感覚や感情は、この経典に書いてあることだと気づくようになっていきました。
具体的にはどのような活動をされるのでしょうか?
チベット仏教は密教です。サーダナという儀軌があって、お経を唱えながら修行を行ないます。日本の密教のように外なる本尊に帰依するのではなく、自分の心の本質の象徴としてビジュアライゼイションしたイメージと向き合うのが最大の特徴です。人間には自己があって対象が存在する。そのため、自分の心の本質に直接入っていくことが出来ません。自分の心の本質が外にあるかのように、イメージして祈願するわけです。その後に、そのイメージを自身のハートに回収するイメージ法とも言えます。具体的な方法は色々ありますが、お経にはパートによってメロディも変わるのです。例えば、ロルモというシンバルがあるのですが、それを鳴らす拍まで細かく決まっています。ドゥプチェンといってそれを10日間行なう修行もある。それは朝7時から夜の22時まで途中休憩を挟みながら行なうのですが、それと併せてお経を24時間絶やさないコーナーもあったり。シフト制で他の方と交代しながらお経を唱える修行ですね。
精神、肉体的に辛かったりはするのでしょうか?
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苦行はありませんが、唯一辛いのが経典の儀軌の中に精神を浄化するための懺悔のパートです。特に何かをするわけではなく、書いてあることをメロディに合わせて唱えるのですが、その内容が精神的に苦しくなるのです。普段は無意識に内在している過去の出来事が炙り出されます。そうすると涙が止まらなくなるのです。懺悔は非常に大切なパートなので、ドゥプチェン全体の中で1/3はあります。懺悔の中でも種類が多様で、道徳的にこういうことをしてしまったという具体的な懺悔に始まり、究極的には概念的に物事を捉えてしまってすみません、となります。例えば、中心があって隅があると思ってしまい、すみませんとか。過去があって未来があると思ってすみませんとか。そういう概念さえも浄化させます。自分の精神と向き合う手段と言いましょうか。宗教には外在的に神様や仏様がいて、祈願すると良いことがあるという固定観念があります。チベット仏教には方便という言葉があるように、あくまでも自分の心の本質、最も清純な現れとしての本尊に帰依します。そのロジックがわからないと、所謂宗教という偏見の目を持ってしまいますよね。
テーラーを始め、ご自身の創作とサーフィンとチベット宗教…他のご嗜好もあるかと思いますが、それらに共通項はありますか?
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共通項は禅と無思考です。考えないようにしつつも、対象と一体になること。サーフィンであれば波と一体になるし、テーラーリングは服と一体になる。ある種のゾーンに入ります。それが楽しいのかもしれません。
様々な世代に対して、実践的に教える私塾のような活動も開始したそうですね。
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ふと人に教えることに関心を持ち出して、今年の1月から始めました。隔週で月に2回、6ヶ月で一シーズンです。当初はそれでスーツ一体を完成させる構想でしたが、厳しいですね。今は最初のシーズンの半分を終えたのですが、仮縫い(縫い出す前段階)がやっと終わりました。
生徒さんはどういう方がいらっしゃるのでしょうか?
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アパレル企業や縫製工場で働いている方がいますが、洋服を仕立てる仕事をしている方はいません。最初私塾をやろうと思った時に、SNSで募集したのですが、その日の内に生徒と場所が決まりました。普段は品川のお寺をお借りして、実践形式で教えています。全体で5人。ジャケットを作りたい人と、パンツを作りたい人で分けたりなど、人数を分けて行なっています。普段僕がやっている仕事そのままをカリキュラム化していますね。普段こういった手の込んだ手作業は体験出来ないでしょうから、陶芸と同じ感覚で面白いと思いますよ。
テーラーとファッションデザイナー、ご自身はどちらだと思っていますか?
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所謂テーラーだとは思われたくはありませんね(笑)。仏教的な観点だとプライドを捨てるというのがあるので、そういう意味でも一職人として自己紹介の時はテーラーと言います。そもそもテーラーという職自体が勘違いされていると思います。イタリアやイギリスの高い水準のテーラーとお客さんの関係性を観ていると、テーラーは技術を売る仕事ではなく、スタイルを売る仕事という認識を双方明確に持っています。日本では、テーラーは何でも縫ってくれる人だと勘違いしている人もいて。例えば、ビスポークテーラーなのでここのポケットの深さを7cmにしてください、といった細かい注文も受けてくれると勘違いされる方もいます。もちろんそれにお応えするのですが、あくまでこちらの美意識に沿ったカッティングを土台としたものです。あまりにも勘違いが激しい人はお断りするようにしていて、理解出来そうな人にはハッキリ言うようにしています。テーラーは各々が絶対的な価値観を持っているのです。例えば、ジャケットであれば袖底が浅い、とか。最初は着心地の悪さを感じたり、今まで着たことのない詰まり感を感じると思います。でも、スタイル的にその方が機能的かつ美しいです。また、多くの日本人がウエストを絞ることを嫌がります。何故かと言うと、普通の絞り位置だと足が短く見えてしまうからなのです。でも、それは絞る寸法の問題ではなく絞る位置の高さの問題なので、ちゃんと高いハイウエストで絞った方が良いと言います。モダンテーラーリングとは何か、自分の価値観を伝えることは非常に大切なことなのです。